No. |
年月日 |
出典(ソース名) リンク先に詳しい説明があります。(ブログ形式) |
証言者名 (敬称略) |
証言内容 |
1 |
1962年8月 |
モー
ターファン1962年8月号 |
新田一夫(ペン) | レーシングコース設計の権威「フーゲンホルツ」 |
2 |
1962年12月 |
科
学朝日1962年12月号 「時速300㎞で」完成した鈴鹿サーキット |
科学朝日編集部 |
レーシングコース設計の権威「フーゲンホルツ」 |
3 |
1963年1月 |
オー
ル生活1963年新年特大号 |
本田宗一郎 |
本田宗一郎氏の言葉で「鈴鹿サーキットをオランダ人
に作らせた。」とあり「塩崎定夫(日本人)に作らせた」とは書いていない。 |
4 |
1963年 |
Guia
de la industria de automoviles en Japan 1963 |
通産省 |
鈴鹿サーキットはフーゲンホルツ氏によって設計された。 現在、この資料が国会図書館で閲覧不可になっています!検索しても閲覧できないように設定されています! |
5 |
1963年7月10日 |
競争自動車<少年文庫>(14) pp.208 少年画報社 |
久米みのる |
三重県鈴鹿市にできたスズカサーキットは、 東洋ではじめてのモーターレース専用の本格的なもので、 有名なオランダのサンダーボルトサーキットのデザイナーが設計し、 その設備やコースのおもしろさは、世界のトップクラスのものです。 |
6 |
1965年6月25日 |
AUTOSPORT
誌 (英:1965年6月25日号) |
Peter Rickitt |
フーゲンホルツ氏が鈴鹿サーキットを設計した。 |
7 |
1967年7月15日 |
モーター・スポーツへの招待 pp.140 鈴鹿サーキット(荒地出版社) |
杉江博愛 |
鈴鹿サーキット デザインはオランダのフーゲンホルフで、 彼にサーキットをデザインさせたら世界No.1である。 |
8 |
1968年7月 |
モー
ターファン1968年7月号 |
モーターファン編集部 |
フーゲンホルツ氏は鈴鹿サーキットの設計者として日本でも
なじみが深い。 |
9 |
1969年 |
AUTOCOURSE 1968-1969Edition pp.56-59 |
ジャッキー・スチュワート |
フーゲンホルツ氏はサーキット・セーフティの第一人者でも
ある。 |
10 |
1969年 |
FIA
YEAR BOOK OF AUTOMOBILE SPORT 1969 |
FIA、ジョン・フーゲンホルツ |
FIA最初のサーキット規則はフーゲンホルツ氏によって執
筆された。 |
11 |
1981年6月1日 |
オートスポーツNo.322
1981年6月1日号pp.124 特別企画 富士/鈴鹿の“これが衝撃のテクニックだ!” |
AUTOSPORT(三栄書房) |
鈴鹿サーキット 1962年9月、日本初の本格サーキットとして完成された。 設計者はサーキット設計の権威フーケン・ホルツ氏 |
12 | 1983年5月10日 |
オートスポーツ1983年5月10日臨時増刊 AUTOSPORT YEAR ‘82/‘83 pp.214 |
AUTOSPORT(三栄書房) | 鈴鹿サーキット オランダ人のサーキット・プランナーであるフーゲンホルツ氏が設計した ヨーロピアン・タイプの本格派テクニカル・コース。 |
13 |
1984年8月3日 |
本
田技術研究所から フーゲンホルツ家にあてた公式FAX |
川本信彦 |
川本信彦氏のレターの中で「我々(ホンダ)はあなた
(フーゲンホルツ)が鈴鹿サーキットの設計者 であることを知っている。」と証言している。 |
14 |
1991年6月 |
F1
グランプリコース全16戦世界を走る (三 樹書房) |
中村良夫 |
中村良夫氏は明確に「サーキット設計はオランダの
フーゲンホルツさんです。」と述べている。 |
15 |
1994年6月1日 |
オートスポーツNo.655
1994年6月1日号pp.10-13 「AUTOSPORT創刊30周年特別企画 鈴鹿 モータースポーツの原点」 |
飯田佳孝 |
フーゲン・ホルツさんは、ヨーロッパの小さなサーキットの
コース設計を手掛け、ホッケンハイムの設計変更も彼が担当したと聞いています。彼(フーゲンホルツ氏)と連絡をとり、設計
が本格的にスタートしました。彼(フーゲンホルツ氏)とは以前から面識があった |
16 | 1994年9月30日 |
本
田文庫 (本田技研工業株式会社 人事部人材開発センター社内広報) |
河島喜好 |
山の中をヨーロッパの設計者(フーゲンホルツ)と歩いた。 |
17 |
1998年9月6日 |
鈴
鹿サーキット(モビリティランド)から フーゲンホルツJrにあてた公式FAX |
山田格 |
父上(フーゲンホルツ)が設計した鈴鹿サーキットをあなた
(フーゲンホルツJr)が 走行するのは我々鈴鹿サーキットのこの上ない喜びである。 |
18 |
1998年10月15日 |
オートスポーツNo.758
1998年10月15日号pp.56-59 「わが父は鈴鹿サーキットのデザイナーである! ハンス・ヒューゲンホルツ、父のコースを初体験」 |
高橋浩司 AUTOSPORT(三栄書房) |
1962年に完成した鈴鹿サーキット。 そのコースレイアウト・デザインを手がけた人物は、 オランダ人のジョン・ヒューゲンホルツ氏である。 そのヒューゲンホルツ氏の子息が、今回初めて鈴鹿サーキットを走った。 |
19 |
2012年7月 |
別
冊モーターサイクリスト2012年7月号pp.100-104 (八 重洲出版) |
飯田佳孝 |
フーゲンホルツ氏によって鈴鹿サーキットは設計された。 |
20 |
2012年9月20日 |
メー
ルインタビュー (中島剛彦による) |
ジャッキー・スチュワート |
フーゲンホルツ氏のキャッチフェンスで命を救われた。 |
21 |
2012年9月1日 |
鈴
鹿サーキット開場50周年記念本 pp.72-73 |
高橋国光 |
ホンダの2輪レーシングチームとフーゲンホルツ氏の親交の
中でつながりができた。 |
22 |
2016年4月8日 |
F1
モデリング64号pp.30-34 (東 邦出版左近堂) |
中島剛彦 ハンス・フーゲンホルツ |
鈴鹿サーキットの
真の設計者はジョン・フーゲンホルツ氏である。 (電子書籍を無料で読むことができます。) |
23 |
2016年10月7日 |
www.formula1.com |
FOM F1日本GPプレスリリース | the track was designed by
Dutchman John Hugenholtz サーキットはオランダ人ジョン・フーゲンホルツによって設計された。 |
24 |
2017年10月6日 |
www.formula1.com |
FOM F1日本GPプレスリリース | Designed by Dutchman John
Hugenholtz. 設計はオランダ人ジョン・フーゲンホルツによって行われた。 |
25 |
2018年10月25日 |
www.fiawtcr.com |
トム・コロネル |
鈴鹿サーキットはジョン・フーゲンホルツによって設計され
た。 |